私は運動音痴です。
50mとか余裕で10秒台でした。
最も苦手なのは球技で、体育の前の日は雨ごいをする日々。
知らないうちに誰かに運動神経を抜かれたのではないかと本気で考えていました。
でも、そんな私にも唯一得意とする種目があったのです。
私が唯一光るとき
私の得意とする種目、それは持久走。
なんて地味な。
持久走はほぼ運動神経がいりません。
ひたすら走ればいいからです。
「もうしんどい」「もうあかん」
と思っても、足さえ前に出せばいつかゴールにたどり着きます。
初めて持久走をしたとき、
「すばらしい」
と思いました。
いきなり見失ったボールが顔面に現れたり、飛んだはずのハードルが全て足に引っ掛かる、などという危険が一切ない。
ただ前に進めば終わるんですから。
持久走はだいたい冬に行われます。
そして、学年全体のレースがあります。
運動部に入っている人は「〇位までに最低入る」
という目標があるため頑張らなければいけません。
クラブ活動をしていない私は、もちろんそんな目標もありません。
しかし頑張るわけです。
何故か運動部に混じって、そこそこの位置でゴールするという。
みんなが全力でやらない、ということも功を奏していました。
ゴールすると胃が飛び出してくるのではないかと思う位苦しく、
本当に心肺停止するのではないかと思うシンドさです。
今から考えると、何故そんな頑張っていたのかわかりません。
でも、「何かできることがある」という証が欲しかったのかもしれません。
「もうアカン」のその先
もう限界と感じたら、限界なのでやめますか?
それでも前に進もうとしますか?
自分の限界から一歩踏み出せる人は強くなります。
踏み出せる自信と、その先に見えてくる世界を知るからでしょうか?
私は体育会系の世界が苦手です。
でも、寝食忘れてガムシャラにやってみる時期がある人とない人は違いますね。
伸びしろが自分で伸ばせるというか。
後半戦に強い方が多いです。
私はクラブ活動もせず、のほほんと暮らしていました。
でも、税理士試験のときも、残業で終電ばっかりだったときも、一回り年下の先輩に嫌味を言われ続けていた時も、「もうアカン」と思った時に思い出すのは持久走です。
あと一歩、もう一歩
進んでさえいれば、何とかなる。
身体で覚えたことは、いくつになっても蘇るものですね。
まとめ
最近は、アッサリというかドライというか”ほどほど”の所で諦めてしまう人が多くて残念に思うことがあります。
諦めるって、”明らかに極める”という意味です。
極めるまで行ってなければ、諦めたら勿体ない。
その方法がダメでも極めたらまた別な道が見つかるかもしれません。
極めたら、それが思うような形ではなかったとしても、必ず爪痕は残ります。
明らかに極めて諦めたその先と、何となく諦めたその先の道。
あなたならどちらを選びますか?
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