先日、京都で公演されている「GEAR」を見に行ってきました。

日本初の”ノンバーバル(言葉に頼らない)パフォーマンス”だそう(行ってから知りました)です。
私は何となく「ちょっと見てみたいなぁ」という位の軽い気持ちだったのですが、”あること”の目的の一貫で今回行くことにしたのです。

で開演15分後、私は冷や汗をかいていました。
その理由は・・・

 

「さっぱり意味わからん!」

 

 

平成にタイムスリップした武士のごとく、固まってしまいました。

これは決して「GEAR」が面白くない、というわけではありません。
言葉がない分、意味を理解しようとしすぎて逆にわからなくなるという…

「これはストーリーを追うものじゃなくて、もっと見たままを感じるものなんや」(多分)と理解し、 考えることをやめようとするのですが、思えば思うほど考えてしまう。
「年齢のせいなのか?」と逃げ腰になっていると、前列にあきらかに私より年配の男性が、リアクションのお手本のように、体をよじり・ 笑い・手を叩いていらっしゃる。

「これは年齢じゃない、心の老化や」とショックを受けているとき、小室哲哉さんの話を思い出しました。

少し話は飛びますが、小室哲哉さんが宇多田ヒカルさんの「Automatic」について、歌詞自体から”Automatic”って発想が自分には出てこない、「これは敵わない」と感じたっていう、ザックリまとめるとこんなことをおっしゃってたんですが、まさに私もその状態(いやあんな大御所といっしょにするな、って感じですが)。

相当浦島太郎状態だった私も、マジックとかジャグリングで、少し感覚を掴み(遅すぎ)、楽しくなってきたところで公演は終了。

皆さんの半分も楽しめていなかったのでは・・・悲しい。

 

冒頭で”あること”の目的で行ってきた、と言いましたが、その”あること” というのが、遊ぶこと
複数の方から「もっと遊びなさい」って言われてたんですね。

最近自分で仕事をするには感性ってスゴく大事だなと、感じていた矢先の出来事に、遊ぶことや心の柔軟性の大切さを痛感した出来事でした。

これからお目にかかる皆様に、少しでも成長したところをお見せできるよう感性を磨いていきますね。

 

 

 


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